副住職日記

2012-03-28 00:35:00

元寇殉難者 慰霊行脚

今から約750年前、元寇(文永の役・弘安の役)があったのはご存じだと思います。
鎌倉時代、国内においては長年にわたり天変地異が起こり、社会不安のどん底でありました。飢饉、暴雨風、はびこる疫病や飢餓。人々は恐れおののき、やがて人智を越えた所に救いを求めようとしていました。
その中で日蓮聖人は鎌倉にて、人々に向かって法華経への帰依を説いて廻っていらっしゃいました。「いったいなぜ災いが起こるのか。何が災いの元か。」「法華経に帰依しなければ、災いは去らぬぞ。」「このままではやがて外敵の侵入や内乱が起き、我が国は滅びるぞ。」と。
法華経に帰依し、正しい教えによって国が栄え、民が栄える。国を想い、不安で苦しむ人々を
何とかして救わんと、その想いはどれほどであったか・・

所属する長崎日蓮宗青年会では、数年前より、激戦があり多くの方がなくなられた地域の慰霊行脚を行っています。壱岐・対馬・鷹島(長崎)と続き、今年は福岡市へ。

 福岡市内から志摩半島(糸島市)にかけて、博多湾沿いに歩くと、鎌倉幕府が、蒙古の襲撃を防ぐために設けた「元寇防塁遺跡」があります。まぎれもなく戦の攻防があった場所であり、歴史が繋がっての現在があることを思い知らされます。

当時は、博多湾を取り巻いて全長20キロにも及び、高さは大よそ1.8メートルから3メートル、幅は1.8メートルから2.4メートルだそうです。今回行脚を行ったのは福岡市西区の約10キロの行程。今津・生の松原地域です。


歴史に「もし・・・たら」「・・・れば」はありませんが、現在の日本があるのも、様々な歴史の積み重ね。その歴史を受け継いで伝えていかなければなりません。法華経の教えのもとに生きていくことを・・・



     生の松原にある、復元された元寇防塁

2012-03-23 20:12:00

お彼岸法要を終えて・・

 20日・21日の2日間、お彼岸法要をお勤めしました。
初日は、施餓鬼法要と共に、東日本大震災の殉難者慰霊の法要も併せて
お勤めしました。


2日間ともお説教をさせていただきましたが、
先日の大船渡での慰霊行脚・1周忌法要での体験をもとに
見たこと・聞いたこと・触れたこと等を交えながら、
法華経に説かれる「菩薩行」についてお話しました。



今の自分にできることがある。
自分も行うことで、周りも影響されてくる。
あとは、どれだけ本気を出して取り組むか・・

仏道修行の期間であるお彼岸だけでなく、
常日頃から、心に留めておきたいものです

あわせて、鯉のぼりの募集も行っています。
一応、今月末までの予定です。
2012-03-16 14:02:00

鯉のぼり 募集中!

東北から帰り、何かできないかと考えていた矢先、
釜石市で鯉のぼりを募集している記事を見つけました。

「大槌町 天高く!プロジェクト」

早速、代表の方に連絡したところ、喜んでいただき
早々に送る予定です。

そこで、ブログをご覧の皆様にもご協力頂きたいのですが、
至急、鯉のぼり、その他支援物資(新学期文具)を募集いたします。
第1陣は明日発送しますが、月末にも送る予定です。

ー以下、プロジェクトHPより抜粋ー

子どもたちが楽しみにしている「こどもの日」(ゴールデンウィーク)
そんな大槌町の子どもたちへ、空に泳ぐ沢山の鯉のぼりを届けたい!
子どもたちの無事な成長を、そして子どもたちを取り巻く環境(大槌町)の
一日も早い復興を願い、大槌町の空天高く「鯉のぼり」が踊り泳ぎます!




我が家も長男が今度1年生です。
子供の喜ぶ顔、子供だけでなく空高く舞う鯉のぼりを見ると
誰しもにこやかな顔になることでしょう。
上を向いて、一歩ずつ歩む、そこに何らかのお手伝いができればと思います。

急なお願いですが、ご協力できる方はよろしくお願いいたします

2012-03-14 18:48:00

1周忌法要 その②

 この記事を書く前に、何度書いたり消したりしたか・・・
おまけに、UPしたのに消えていました((+_+))

話が前後になりますが、集いの前に市内の被災地を行脚しました。
かつて建物があったであろう場所には、花が手向けられ、お供えがあり、
お参りをされている方々の姿がありました。
現実を知らされます。行脚中には私たちに対し、浄財を寄進される方、
手を合わせていらっしゃる方々、様々な思いを受け、唱えるお題目も自然と
声が大きくなります。


追悼の集いでは、地震発生の時刻に合わせての黙祷・点鐘
また大船渡に津波が到達した3時19分には、同じく黙祷と点鐘をして
冥福・慰霊と復興祈願を行いました。
詳しくは本増寺HP


会場には市民の皆様で作成された灯篭が掲げられ、灯篭の周りには
思い思いの言葉や絵が描かれていました。

また、鎮魂と追悼の言葉が書かれた大灯篭は
震源地である三陸沖北緯39.1度まで船で運ばれ、その地点に流されました。




東京まで帰る途中、陸前高田市も通りました。一本松があるところです。
何といいようがありません。建物が、街がありませんでした。


目に見るもの、聞くもの、触れるもの、いろんなことを私たちに教えてくれます。
どう受け取り、伝えていくのか・・・・何かできることがある。
自分自身のことと受け止めて、行動することが大事です
復興という言葉だけではあまりに軽いですが、
鎮魂と追悼、そして一日でも早い復興を願ってやみません。
2012-03-12 19:57:00

大震災1周忌 追悼法要

大震災から1年を迎えました。
各地で、黙祷・追悼法要など慰霊と復興祈願のお勤めが行われていると思います。

さて、今回私たちが参列させていただいたのは、大船渡市。
ここでは死者・行方不明者合わせて400名以上の方が犠牲になられています。

大船渡港を見渡す高台にある本増寺様に集合し、
津波の被害にあわれた地域を唱題慰霊行脚し
大船渡港を会場に開催される「鎮魂と追悼 市民の集い」に参列。


約500名の参加者と共に、お勤め。


式典の最中に、参加者の方と共に「希望の鐘」をつきました。
これは、災害派遣などで活躍しているNPO法人「アース」が
阪神大震災15周年の折、「慰霊と鎮魂」の願いを込めて鋳造されたそうです。
今回、大船渡に持ってきていただき、犠牲者の慰霊、復興の祈りを込めて
皆さんでつきました。

地震発生の午後2時46分に合わせ、黙祷。
ざわついていた会場も、このときは静かに全員の気持ちが一つとなって
祈りを捧げました。

ー続くー