副住職日記
2012-03-10 22:52:01
遠野までやってきました
明日は東日本大震災から一年。
各地で慰霊祭や追悼式典が開催されますが、我々青年僧もそれぞれのお寺で行います。
今回、先輩より岩手にて一周忌法要を行うことをお聞きし、お世話になる岩手・遠野市にやってきました。
明日は、大船渡で慰霊行脚と追悼法要に参列します。
遠野市・智恩寺様。こちらに宿泊させていただきます。

2012-03-07 21:36:00
初節句
今年は次女の初節句。
お雛様
を飾り、お客様を迎える準備も万端・・・・・・・だったのですが、

流行りものに弱い私は、風邪をこじらせ、
家族もインフルエンザ
に掛り、あえなく中止に
当の本人は、元気いっぱい。
インフルも感染せず、無事で何より・・・
でも折角の初節句をごめんなさい
。
お詫びにもう少し飾っておきます。(天気も悪いし・・・)

お雛様


流行りものに弱い私は、風邪をこじらせ、
家族もインフルエンザ

当の本人は、元気いっぱい。
インフルも感染せず、無事で何より・・・
でも折角の初節句をごめんなさい

お詫びにもう少し飾っておきます。(天気も悪いし・・・)

2012-02-28 16:01:00
100日の修行を終えて・・・帰山式
27日
、南島原市の広宣寺様で、無事修行を終えられたご住職の
帰山式がありました。
昨年の11月1日より、今年2月10日までの100日間、
千葉県にある遠壽院という寺院で100日の結界修行
を行い
無事にお寺に戻ってきましたという奉告式です
。
多くの檀信徒に見守られ、全国から10名の修行僧が集まり
水行、祈祷会を行いました。

私が前回修行を終えてから7年。
準備お手伝いや、帰山式を見ると、
自分もしっかり頑張らねば
…励まされます。
もう一度、行かなきゃいけないのでは
…・という気にもなります。

人は本気になったとき、出会う人間、言葉、態度など変化が訪れます。
周囲が変わってくることに気づきます。
それは、周りが変わったのはなく、自分自身が変わった結果です。
「本気のスイッチ
」
きっかけはいつもそばにある。
後は自分の心次第・・・・・・

帰山式がありました。
昨年の11月1日より、今年2月10日までの100日間、
千葉県にある遠壽院という寺院で100日の結界修行

無事にお寺に戻ってきましたという奉告式です

多くの檀信徒に見守られ、全国から10名の修行僧が集まり
水行、祈祷会を行いました。

私が前回修行を終えてから7年。
準備お手伝いや、帰山式を見ると、
自分もしっかり頑張らねば

もう一度、行かなきゃいけないのでは


人は本気になったとき、出会う人間、言葉、態度など変化が訪れます。
周囲が変わってくることに気づきます。
それは、周りが変わったのはなく、自分自身が変わった結果です。
「本気のスイッチ

きっかけはいつもそばにある。
後は自分の心次第・・・・・・
2012-02-20 18:37:00
梅苑茶会
19日、島原城にて梅苑茶会
が開催されました。
本来なら、お手伝いの予定だったのですが、
法務多忙のため、後片付けに参加。
今年は昨年より遅めの開催でしたが、それでも肝心の梅の花はチラホラ
と・・
去年は、結構咲
いていたのに、今年は遅めです。

片づけに参上した午後2時過ぎには、すでに終了していました。
約200名弱の方がいらっしゃったとのこと。
来月の第1週にも同じく梅苑での
開催となりましたので、
ちょうど見ごろ
だと思います。


本来なら、お手伝いの予定だったのですが、
法務多忙のため、後片付けに参加。
今年は昨年より遅めの開催でしたが、それでも肝心の梅の花はチラホラ

去年は、結構咲


片づけに参上した午後2時過ぎには、すでに終了していました。
約200名弱の方がいらっしゃったとのこと。
来月の第1週にも同じく梅苑での

ちょうど見ごろ


2012-02-17 14:09:00
220年前の出来事
「島原大変 肥後迷惑」という言葉をご存知ですか?
ウィキペディアで検索→島原大変
西暦1792年5月21日(寛政4年4月1日)に起こった眉山崩壊と津波による自然災害です。
島原半島と対岸の熊本・天草地方で合わせて1万5000人の犠牲者といわれる
災害から220年。

手前が崩壊した眉山。地震によって山頂より150mの高さにわたり崩れ、
その土砂が海へなだれ込み、津波になったとか・・・・
島原半島・天草地方の各地に慰霊塔、供養塔が多数建立されています。
町内にも現存することは知っていましたが、
今回初めて現地に行き、お参りしました。

供養塔には寛政4年4月1日(朔日)とある
この地は布津大崎といって、記録によると津波の高さが57Mとのことです。
もし今同じような津波が起こったならば、お寺のすぐ近くまで到達する高さ。
決して他人事ではなく、改めて当時の災害のすさまじさと、
後世に伝えていかなければならない大切さを実感しました。

左:普賢岳 右:眉山 布津町大崎にて撮影
ウィキペディアで検索→島原大変
西暦1792年5月21日(寛政4年4月1日)に起こった眉山崩壊と津波による自然災害です。
島原半島と対岸の熊本・天草地方で合わせて1万5000人の犠牲者といわれる
災害から220年。

手前が崩壊した眉山。地震によって山頂より150mの高さにわたり崩れ、
その土砂が海へなだれ込み、津波になったとか・・・・
島原半島・天草地方の各地に慰霊塔、供養塔が多数建立されています。
町内にも現存することは知っていましたが、
今回初めて現地に行き、お参りしました。

供養塔には寛政4年4月1日(朔日)とある
この地は布津大崎といって、記録によると津波の高さが57Mとのことです。
もし今同じような津波が起こったならば、お寺のすぐ近くまで到達する高さ。
決して他人事ではなく、改めて当時の災害のすさまじさと、
後世に伝えていかなければならない大切さを実感しました。

左:普賢岳 右:眉山 布津町大崎にて撮影