副住職日記
2012-02-17 14:09:00
220年前の出来事
「島原大変 肥後迷惑」という言葉をご存知ですか?
ウィキペディアで検索→島原大変
西暦1792年5月21日(寛政4年4月1日)に起こった眉山崩壊と津波による自然災害です。
島原半島と対岸の熊本・天草地方で合わせて1万5000人の犠牲者といわれる
災害から220年。
手前が崩壊した眉山。地震によって山頂より150mの高さにわたり崩れ、
その土砂が海へなだれ込み、津波になったとか・・・・
島原半島・天草地方の各地に慰霊塔、供養塔が多数建立されています。
町内にも現存することは知っていましたが、
今回初めて現地に行き、お参りしました。
供養塔には寛政4年4月1日(朔日)とある
この地は布津大崎といって、記録によると津波の高さが57Mとのことです。
もし今同じような津波が起こったならば、お寺のすぐ近くまで到達する高さ。
決して他人事ではなく、改めて当時の災害のすさまじさと、
後世に伝えていかなければならない大切さを実感しました。
左:普賢岳 右:眉山 布津町大崎にて撮影
ウィキペディアで検索→島原大変
西暦1792年5月21日(寛政4年4月1日)に起こった眉山崩壊と津波による自然災害です。
島原半島と対岸の熊本・天草地方で合わせて1万5000人の犠牲者といわれる
災害から220年。
手前が崩壊した眉山。地震によって山頂より150mの高さにわたり崩れ、
その土砂が海へなだれ込み、津波になったとか・・・・
島原半島・天草地方の各地に慰霊塔、供養塔が多数建立されています。
町内にも現存することは知っていましたが、
今回初めて現地に行き、お参りしました。
供養塔には寛政4年4月1日(朔日)とある
この地は布津大崎といって、記録によると津波の高さが57Mとのことです。
もし今同じような津波が起こったならば、お寺のすぐ近くまで到達する高さ。
決して他人事ではなく、改めて当時の災害のすさまじさと、
後世に伝えていかなければならない大切さを実感しました。
左:普賢岳 右:眉山 布津町大崎にて撮影