副住職日記

2013-09-23 23:58:00

いのちの繋がり ~秋季彼岸法要~

「暑さ寒さも彼岸まで」

近所の水田では、稲刈りが始まり、秋の訪れを感じさせます。
とはいえ、日中はまだまだ暑さが残り、今日も30度を超えていました

そんな中、当山の秋季彼岸法要を厳修
中日の今日は、施餓鬼法要も併せて行い、多くの参詣を頂きました
嬉しい出来事もありました。
夏休みに修養道場に参加してくれた子供たちが、おそろいのTシャツを着てお参りに
来てくれたのです。この縁を大事にしたいものです


また、昨年に続き、親子4世代出仕しての法要
元気で揃ってお勤めできる幸せと、命の繋がりを感じます。
親・祖父母、先祖あっての我が命
自分のいのちに、多くの先祖のいのちが繋がっています。


彼岸法要に合わせ、東日本大震災復興のチャリティーバザーも開催
今年で3回目ですが、定着してきたのか、
年々、参加される方が増えています。
続けることが大事ですね。


法要後に今回はお説教というより、日蓮聖人の御一代をお話ししました
本当に初歩的な部分でしたが、案外知らない部分でもあり、
逆に知らないということは、伝わっていない、存在していないことにもなります。
少しでもわかりやすいように、今回はパワーポイントを使っての
お話にさせていただきました。


明日も彼岸法要とバザーを開催。
お近くの方は、是非お越しください

2013-09-06 21:57:00

もしかしたら東京生まれ?

 大正12年9月1日、約10万5千人の犠牲者を出した関東大震災から90年。
毎年のように首都直下型地震の予測や危険性が報じられています。
もちろん、備えるに越したことはありません。
当時どのような被害があったのか、たまたま上京した3年前に、墨田区にある東京都慰霊堂に参拝し、当時の写真や絵を見る機会がありました。翌年の3月11日、東日本大震災が発生し
あの時、慰霊堂に参詣したのは「偶然」ではなかったのでは?と感じていました。

ー東京都慰霊堂ー

実は、関東大震災当時、私の曽祖父(父方)は東京・日本橋浜町にある清正公堂(現・清正公寺)の主管(住職)をしていました。もともと熊本・本妙寺の弟子だった曽祖父は、江戸の細川藩邸跡に建立された清正公堂に本妙寺から派遣されていたそうです。その時、大震災が起こり、命からがら出生地である南島原市に避難し、現在の妙法寺に入寺しました。

一度、曽祖父がいたお寺をお参りしたい。最初はその目的で上京し、実際に浜町公園内の一角にある清正公寺にお参りすることができました。

ー日本橋浜町 清正公寺ー
ここで大震災にあったのか・・・・、ならば、その霊位を祀るところにお参りしたい・・・・・その足で向かったのが、都慰霊堂でした。
大震災の後、そのまま曽祖父が東京にいれば、今頃は都民?

人生にあの時こうしていれば・・・、確かに現在と違うかもしれません。「たら、れば」は過去の事。現在の結果は過去の原因(してきたこと)によるもの。
こうして現在があるのも、先祖や多くの縁によるもの。その縁を大事にしたいものです。
2013-08-09 19:41:00

11時2分のサイレン

 8月9日。この日は長崎に原子爆弾が投下された日。県内の小中学校では、登校日となり、各地で平和集会が開催されます。
先日慰霊行脚を行いましたが、本当はこの9日に行うのが望ましいのですが、この日は各寺院にて
慰霊のお勤めを行います。
11時2分。投下の時刻に合わせ、黙祷のサイレンが鳴ります。
体験された方が高齢となり、いかに後世へ伝えていくかが、ニュースにもなっていました。
実際に体験したことがない私たちが、さらに次世代へ伝えていくには・・・・・
より真剣に話を聞き、この目で現地を見て、その想いを話さなければなりません。

3年前、全国青年僧の呼びかけで、サイパン島への慰霊法要へ参加しました。


以下の文は、自分が参加した後に記した感想文、ならびに写真を掲載します。

サイパン島のすぐそばにテニアン島という小さな島があります。テニアン島は、太平洋戦争中の激戦区であったことはもとより、人類史上初であり唯一の原子力爆弾を搭載した2機のB-29爆撃機が広島・長崎へ向け飛び立った場所でもあります。 
 サイパン島からセスナ機で5分。現地へ到着した一行を出迎えたのは、慰霊碑左手の崖一面に広がる無数の艦砲射撃の跡でした。それは対面に広がる青く美しい海との非現実的なコントラストとなって私たちの眼前に広がり、その光景を目の当たりにする中、各々が持ち寄った供物をお供えし、慰霊法要を行いました。

 再びバスに搭乗しハゴイ飛行場跡のある北端への移動を開始致します。
 北端まで僅か30分足らずのその道程こそ、60数年前に原子力爆弾を積載したトラックが「エノラゲイ」そして「ボックスカー」と名付けられた2機のB-29爆撃機の待つ飛行場へ向かった道なのです。 やがて一行を乗せたバスは草に覆われた古い滑走路を走り抜け、僅かに残された道を進むとコンクリートで舗装された広場へ到着致しました。

 そこには風化を防ぐガラスに覆われた四角い穴が2つひっそりと残されています。広島へ向けて飛び立った「エノラゲイ」へ原爆を搭載した第1ピット、そして長崎へ向かった「ボックスカー」への搭載を行った第2ピット跡です。3~4丈程しかないその穴は、今も尚、見る者に対し得も言われぬ感情を起こさせる、独特の空気を纏って存在し続けています。
 
 この日私たちが目の当たりにした戦跡は、今なお人間の犯した暗く悲しい歴史を伝え続けています。鬱蒼と生い茂った密林の奥でコンクリートに囲まれた小さなピット跡に立った時、まさに人類の背負った苦しみの原点がそこに存在することを痛感させられました。 

広島・長崎へ飛び立った、滑走路跡

 そして、それは同時に今を生きる私たちにとっての再出発の場所としなければならない、との強い祈り、願いを胸に抱かせる力をもった場所でもあります。
 広島・長崎両日青会の皆様は勿論のこと、全国よりお集まりいただいた誰もがその思いを胸に抱き、それぞれの生きる場所でご活躍いただければと切に願っております。

農場でノニを栽培しているガンさんが島を案内してくれた。見るもの聞くものはじめまして!ばかり。“捕虜になるのは日本人の恥”と洗脳されていた日本人は200メートル下の海に身を投げたという場所に立ってみて・・・真理を知らないことはツミだ・・と思った。そして彼らの犠牲の上に今の日本が、我々があるんだと 心から感謝と祈りをささげた。

いきなりジャングルの中に入っていった。“日の出神社”の跡だという。鳥居が残っていた。

私は鳥居よりも何よりも その鳥居にくっついて立っていたパパイヤの木が気になった。車は細い道をどんどん行って、広島・長崎に落とされた原爆は、ここから運んだ という場所に行った。数メートル掘ってつくった長方形のコンクリートの穴?(何と表現するのでしょうか)があって、その穴を囲んで地上2メートルくらいのガラスフードのようなものがつくられてあって中を覗くことができた。ガンさんが説明してくれた。“これは天皇ヒロヒトへのファーストメッセージ(広島に落とした爆弾)そしてこれがセカンドキッス(長崎に落とした爆弾)。

気がついたら祈っていた 最高の表現だった 世界人類が平和でありますように・・・

こういった事実、場所があることもそれまで知らなかったのです。
いまだに残る戦争の傷跡。いつまでも忘れないためにも、心に留めておきたい。

2013-08-02 23:51:00

慰霊行脚 ~受け継ぎ 伝える~

 8月9日、この日は長崎に原爆が投下された日。
今年、68年目を迎えようとしています。

県内の小中学校は、登校日で平和集会などを通して、次世代へ受け継ぐことを行っています。

我々も、9日当日ではありませんが、毎年この時期に原爆殉難者慰霊行脚を行っています。


県内の青年僧はもちろん、数年前より全国からの参加も年々増え、今年は50名での行脚となりました。
以前は駅前や寺町の寺院から平和公園までのお決まりコースでしたが、殉難者は市内各地におられることを思い、毎年コースを変え、より広い地域で太鼓・お題目を唱え、慰霊を行っています。

今年は西山~立山公園経由で平和公園まで。


炎天下ではありましたが、それぞれの想いを胸に行脚を行いました。平和公園には、たくさんの観光客。また現在長崎で全国総文際が開催され、多くの高校生の姿が見受けられました。


平和記念像前や隣接する原爆無縁死没者追悼記念堂にて一読。



青年会として慰霊行脚は今年で最後の参加となりました。
毎年思いますが、行脚する地域・道路は多くの殉難者の上、そこを慰霊で行脚していることを想いながら、受け継ぎ伝えることの使命、責任感を感じます。

長崎だけに限らず、広島、日本、世界の一人一人が、対岸の事ではなく自分のそして後世の問題としてとらえ、関心を持つことが、平和への第一歩であると感じます。
2013-07-29 22:42:00

初めての催し ~読誦会~

日蓮宗では百日の修行を終えた僧侶に「修法師」という資格が与えられます。
長崎県では修法師会による、様々な行事がありますが、
数年前より、毎月ではありませんが、県内各地の寺院にて修法師会主催による読誦会が行われています。

今回、当山が担当寺院となり、県内各地よりお上人様にお越しいただき、お勤めを行いました。
普段は1~2名。行事があっても最大7名ですが、15名近くの方と一緒にお経を読む。
その力強さと、息の合った読経のリズム。

修行中は150名を超える僧侶との読経でしたが、そのころを思い出しながら、わざわざお越しいただいて、皆さんでお勤めした頂くことを嬉しく思い、感謝の気持ちで一杯でした。

法味を捧げると言いますが、当山の諸天善神もさぞ喜ばれたことと思います。