副住職日記

2013-05-04 23:45:00

信行会開催

毎月恒例の信行会を開催しました。GWで絶好の行楽日和にもかかわらず、
熱心な方々が参加、お参り頂きました。

いつものように、お勤め、和讃練習のあと、日蓮大聖人の御遺文拝読。

今月は、以下のお手紙を拝読・解説しました。

入道殿は今生にはいたく法華経を御信用ありとは見え候はねども、過去の宿習のゆへかのもよをしによりて、このなが病にしづみ、日々夜々に道心ひまなし。今生につくりをかせ給ひし小罪はすでにきへ候ひぬらん。謗法の大悪はまた法華経に帰しぬるゆへにきへさせ給ふべし。ただいまに霊山にまいらせ給ひなば、日いでて十方をみるがごとくうれしく、とくしにぬるものかなと、うちよろこび給ひ候はんずらん。中有の道にいかなる事もいできたり候はば、「日蓮がでしなり」となのらせ給へ。
(妙心尼御前御返事)


夫の長病を縁として法華経信仰に入り、夫の病中髪を剃って尼となられたその想いを受け止められ、
法華経信仰による夫の小さな罪障は消えていることの説明と、当病平癒を祈念されました。
たとえ、亡くなられ、49日の道中、いかなることが起きても日蓮の弟子と名乗りなさい・・・と。
後世の安心を説いておられます。

生あるもの、いつか迎えなければならない「その時」、その時には「日蓮聖人の弟子である」と名乗れるよう、今という時間を法華経・御題目とのご縁を大事にして、仏様が常に見捨てず、見守ってらっしゃるという事を信じ、益々信行に励む事の大切さを解説いたしました。

2013-04-21 20:45:00

アクセルとブレーキ

今日は島原・妙国寺様の守護神祭に出座
多くの檀信徒、信者さんとともにお勤めし、身体健全、各家の家内安全を祈願いたしました

その後、昼食の折、先輩方との話の中で、法要や所作についてお話していた時のことです。
その際、いろんな指摘を受けました
諸先輩から教わりながら、いつの間にか我流となり、自分が普段行っている事が、
間違ていること・・・など

指摘をしていただけるのはありがたいことです
今では、そうして注意していただける方が少なくなってきました。
他人がどうであろうと、自分に関係ない・・・・といえばそれまでですが、
それでは、間違ったまま通し、更には他の人に間違ったまま教えて広めてしまうかもしれない。
よく考えれば怖いことですよね

いじめなど教育問題が取りざたされています。
人は注意して育つものでしょうか?それとも、誉めて育つものでしょうか?
「いや両方必要だ」と言う人もいるでしょう。

アクセルとブレーキ両方が大事。
でも注意は難しいものです。ヘソを曲げられることもあります。
まして、急激なブレーキは反動も摩擦も大きいもの

褒めること、注意すること。どちらも大切なことは、相手に気付かせることでしょう

見聞触知 皆 菩提に近づく

いつも、私たちに気付かせるよう、教えを説いていらっしゃる仏様。
自分自身がアンテナを向けない限り、どれだけアクセルとブレーキがあっても
前に進まないのでしょう。

色々と教わった一日でした

2013-04-19 12:36:00

交通安全祈願

 最近、交通安全祈願・車のお祓いの依頼が多くなりました。
神社だけではなく、お寺でも交通安全祈願を行ってますよ
決算期に購入された方の納車が重なったこともあるかもしれません。

コンパクトカーや軽自動車が主です。
田舎で道も狭く、経済性も良い。また、祈願をされる方が高齢者の方が多いので
運転しやすいからかもしれません

先日、御祈願された方に話を聞きました。
何でも昨年事故に遭ったと・・・・・
もう乗らないと思っていたが、やっぱりないと不便で仕方がない・・・
ご自身やご主人の病院通いもあるからと購入されたそうです。

よくよく話を聞くと、ご自身がアクセルとブレーキを踏み間違い
壁に突っ込んだと。パニックになってブレーキだと思い思いっきりアクセルを踏んだので、
この世にいなくなっていてもおかしくない事故だったそうです。

今回購入された車を見ると前面にカメラがついていました。
最近多くなってきた「衝突回避」を自動車がしてくれる、ブレーキをかけてくれるぶつからない車。
技術の進歩は凄い・・・・・
だけど、100%安全いうわけではないそうです。
運転するのは人間。車同士だけではなく、歩行者との衝突もあります
自分は正しくても、相手が突っ込んでくることもあります。

機械任せ、人任せではなく、自身がしかるべき安全運転を行ってこそ、
「大難は小難に、小難は無難に」と御守護いただける

自身の気持ちをコントロールできる状態、心の安全運転が全ての始まりだと感じます
2013-02-27 21:23:00

信仰の相続

 先日、お檀家さん宅へ月回向に伺った時の話です。

「お上人、これどうしたらいいですか?」
部屋を片づけていたら出てきたというものを見ると、
行衣・御首題帳・輪袈裟でした。

行衣とは、お勤めや修行の時に着る白衣です。最近では滝行や水行中に着ているのをテレビで見かけますが、日蓮宗の行衣は背中の部分にお題目が書かれています。


御首題帳は、いろんなお寺へお参りに行った際、そのお寺の御住職から、お題目を執筆していただいたものを冊子にしたもの。

よく見ると、かなり年季が入っています。
「これは、自分の親父のものです。家庭の繁栄と体が弱かった姉(叔母)の当病平癒のために、始めたと聞いています。父が亡くなったとき、棺に入れようとしたが、見つけることができなかった。それが、最近姉の箪笥から出てきた」ということでした。

捨てるわけにはいかない・・・・・・・けど、自分の行衣や御首題帳は持っているので、2つはいらない。

いろんな思いがあるとは思いますが、父親が亡くなった年齢になった時に出てきたのも、何かを教えるため。だったら、ご自身の時に棺に入れていただき、お父様に届けたらいかがですか? 何時になるかわからないけど・・・・・とお話ししました。

自分たちの身体は、両親はもちろん、多くの先祖様から受け継いだもの。
見えないようで、自分に繋がっています
だったら、自分がすることが先祖様につながるし、逆もしかり。

見聞触知 皆菩提に近づく
        (開経偈)   
 日頃の全てが自分を成長させてくれます