副住職日記
2012-12-03 16:33:00
信徒青年会 大村大会
毎年行われている県内の日蓮宗信徒青年会総会が今年は大村市で行われました。
今年で10年目となるこの大会は、各寺の青年部に、よりお寺に関わってもらい、
日蓮宗の歴史・伝統、そして仲間との親睦・縁をきっかけに、より信仰を深めて
もらおうと開催されたのが始まりです。
第1回は大村・本経寺様において、故・立川談志師匠をお招きしての開催でした。
あれから10年。県内各地を廻り、現在では1泊2日の研修を兼ねた総会となっています。
今年は記念の10回目。最初の地大村に戻り、昨年寺号公称を受けられた大法寺様にて開催。
生まれたての新しいお寺で、県内から多くの信徒が集まったという御縁、
そしてこれから共に成長し、お寺も育ててもらいたいという、松本代務住職のお話が印象的でした。
総会の後は研修会。
若手僧侶による法華経講義。またスクールカウンセラーを行っている僧侶の体験談をもとにした
講義など、子供を持つ信徒青年にとって身近な問題に対する講演を行い、
法華経・お題目信仰の大切さをお伝えしました。
夜の懇親会では、同じ市内の妙宣寺子供万灯会による「万灯披露」
今年のお会式でお話しさせて頂いた妙宣寺様の子供万灯ですが、
熱心に太鼓を打ち、一生懸命万灯を回す子供たちの姿に
こちらも励まされ、これからの寺院を盛り立てて行こうという信徒青年の熱気を感じました。
これからも、各寺の檀信徒・信徒青年が盛り上がり、
県内・全国・世界へとお題目信仰の輪が広がっていくように
僧侶自身も、もっと頑張らねばと感じた2日間となりました。
今年で10年目となるこの大会は、各寺の青年部に、よりお寺に関わってもらい、
日蓮宗の歴史・伝統、そして仲間との親睦・縁をきっかけに、より信仰を深めて
もらおうと開催されたのが始まりです。
第1回は大村・本経寺様において、故・立川談志師匠をお招きしての開催でした。
あれから10年。県内各地を廻り、現在では1泊2日の研修を兼ねた総会となっています。
今年は記念の10回目。最初の地大村に戻り、昨年寺号公称を受けられた大法寺様にて開催。
生まれたての新しいお寺で、県内から多くの信徒が集まったという御縁、
そしてこれから共に成長し、お寺も育ててもらいたいという、松本代務住職のお話が印象的でした。
総会の後は研修会。
若手僧侶による法華経講義。またスクールカウンセラーを行っている僧侶の体験談をもとにした
講義など、子供を持つ信徒青年にとって身近な問題に対する講演を行い、
法華経・お題目信仰の大切さをお伝えしました。
夜の懇親会では、同じ市内の妙宣寺子供万灯会による「万灯披露」
今年のお会式でお話しさせて頂いた妙宣寺様の子供万灯ですが、
熱心に太鼓を打ち、一生懸命万灯を回す子供たちの姿に
こちらも励まされ、これからの寺院を盛り立てて行こうという信徒青年の熱気を感じました。
これからも、各寺の檀信徒・信徒青年が盛り上がり、
県内・全国・世界へとお題目信仰の輪が広がっていくように
僧侶自身も、もっと頑張らねばと感じた2日間となりました。
2012-11-29 22:33:00
交通安全祈願・慰霊行脚
今月27日、西海市・大徳寺様で毎年開催されている交通安全祈願、並びに交通事故殉難者の慰霊法要、行脚に参加しました。
これは、大徳寺住職・加藤上人が、30数年前、地域で交通死亡事故が多く、その慰霊と交通安全祈願のために始められたそうです。
最初はご住職一人で18キロの行程を行脚されたそうですが、現在は檀家さんとともに長崎県青年会も行脚に参加させていただいてます。
2手に分かれ出発し、途中事故のあった場所で一読・ご回向しながら、行脚します。
歩道が狭いところは、大きなトラックが通るたび怖い感じがします。
人間にとって便利な道具も、時として凶器に変わり、その人の心次第で防げることも、
守ることもできます。
気が緩んだその隙に「魔」が入ります。
自分も普段運転する身。普段からの心がけを大事にしたいものです。
これは、大徳寺住職・加藤上人が、30数年前、地域で交通死亡事故が多く、その慰霊と交通安全祈願のために始められたそうです。
最初はご住職一人で18キロの行程を行脚されたそうですが、現在は檀家さんとともに長崎県青年会も行脚に参加させていただいてます。
2手に分かれ出発し、途中事故のあった場所で一読・ご回向しながら、行脚します。
歩道が狭いところは、大きなトラックが通るたび怖い感じがします。
人間にとって便利な道具も、時として凶器に変わり、その人の心次第で防げることも、
守ることもできます。
気が緩んだその隙に「魔」が入ります。
自分も普段運転する身。普段からの心がけを大事にしたいものです。
2012-11-26 11:55:00
カタシの卒塔婆
檀家さん宅で50回忌のお勤めを行いました。供養の際に卒塔婆を建てますが、簡単に説明を・・
お釈迦さまが亡くなられた時、荼毘(火葬)に付され、その遺骨(仏舎利)を分骨し、塔を建ててその中に安置してお祀りいたしました。この塔のことを、古代インドの言葉である梵語(サンスクリット語)で、「ストゥーパ」といいます。「ストゥーパ」が語源となって「卒塔婆」と言います。
このストゥーパが五重塔の起源です。五重の塔はなぜ五重かといいますと、その5つは、この世を形づくる五つの基礎となるものを表しているのですその卒塔婆の頭には、「地」、「水」、「火」、「風」、「空」を表す形が刻みこまれています。
卒塔婆を立てるということは、五重の塔を建てることと同じ意味があるのです。
お釈迦さまが亡くなられた時、荼毘(火葬)に付され、その遺骨(仏舎利)を分骨し、塔を建ててその中に安置してお祀りいたしました。この塔のことを、古代インドの言葉である梵語(サンスクリット語)で、「ストゥーパ」といいます。「ストゥーパ」が語源となって「卒塔婆」と言います。
このストゥーパが五重塔の起源です。五重の塔はなぜ五重かといいますと、その5つは、この世を形づくる五つの基礎となるものを表しているのですその卒塔婆の頭には、「地」、「水」、「火」、「風」、「空」を表す形が刻みこまれています。
卒塔婆を立てるということは、五重の塔を建てることと同じ意味があるのです。
私たちの地域では、50回忌の際に卒塔婆を建てますが、切込みが入った卒塔婆ではなく、カタシの木を使います。カタシとは椿の事。山に自生している椿を一枝つけて切って両面を削り、卒塔婆に使います。
これは、お勤め後にお墓に立てるのですが、椿は挿し木として根がつきやすく、お墓に立てておくと自然と根がつく。亡くなられた方が、50年を節目に生まれ変わって、その家の後世を見守っていただきたいとの想いから、何時しか始まったそうです。50回忌の卒塔婆として使うため、33回忌の頃に椿の苗を買ってきて庭に植えて準備していたという話も聞きました。
以前は土葬で、墓も土の部分が多かったので、墓地のあちこちに椿が根付いていました。現在では火葬、墓地は石かコンクリートで土の部分はありません。現実的に立てても根付くことはないのですが、亡き人を想う気持ちをカタシの卒塔婆という形で供養を行うことを大事にしたいものです。
法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず、
冬の秋とかへれることを。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となることを。経文には、「若(も)し法を聞かん者有らば一として成仏せざる無し」と、とかれて候。
日蓮聖人『妙一尼御返事』
「冬は必ず春となる。」
椿という字は「木」に「春」と書きます。苦しみ・悲しみの後には、必ず解決、安らぎの時が来ると日蓮聖人は励まされています。冬は耐える時期であると共に、春に向けて蓄える時期でもあります。
椿の花が初春に咲くように・・・・
2012-11-23 22:15:00
長崎でのお勤め
長崎市・昭徳寺様のお会式にお声をかけていただき、
お説教をさせていただきました。
昭徳寺様とは親戚ということもあり、以前からお互いによく行き来をしています。
今回は、6年前に新しく建立された本堂でのお勤めでした。
(肝心のカメラを忘れてしまい、写真は6年前の本堂落成後、副住職の帰山式の際の写真です。)
お説教の前に、御住職から法華経寿量品第16の「是好良薬 今留在此」のご説明がありました。
自分の考えていた話とつながるお話だったので、そのお話と合わせて、お題目の話、
日蓮聖人のお話をさせていただきました。
現在の社会状況を見渡せば、様々な社会問題は経文にあるように、「毒気深入 失本心故」そのものです。知らないうちに毒が回り、本心(本来の人間の姿)を失っています。
事件・事故・災害・社会問題・・・・、人間の生き方、生きるとはなにか、何のために生まれてきたのか
問われています。
お釈迦様は悩み苦しみ人々に、お題目という薬を与えられました。しかしながら、「如可取服」とあるように、その薬を自分自身で手に取り飲まなければ、せっかくの良い薬も意味がありません。
自らの手で手に取る、行動する・・・・・与えられるだけでなく、その第一歩が家庭に、地域に、社会に
そして自分自身に繋がってきます。
誰かがしてくれるだろう・・・、自分には関係ない・・・、そのような他人任せの考えではなく、
正しい教え(信仰)のもとに、自ら行動して行きましょう。
お説教をさせていただきました。
昭徳寺様とは親戚ということもあり、以前からお互いによく行き来をしています。
今回は、6年前に新しく建立された本堂でのお勤めでした。
(肝心のカメラを忘れてしまい、写真は6年前の本堂落成後、副住職の帰山式の際の写真です。)
お説教の前に、御住職から法華経寿量品第16の「是好良薬 今留在此」のご説明がありました。
自分の考えていた話とつながるお話だったので、そのお話と合わせて、お題目の話、
日蓮聖人のお話をさせていただきました。
現在の社会状況を見渡せば、様々な社会問題は経文にあるように、「毒気深入 失本心故」そのものです。知らないうちに毒が回り、本心(本来の人間の姿)を失っています。
事件・事故・災害・社会問題・・・・、人間の生き方、生きるとはなにか、何のために生まれてきたのか
問われています。
お釈迦様は悩み苦しみ人々に、お題目という薬を与えられました。しかしながら、「如可取服」とあるように、その薬を自分自身で手に取り飲まなければ、せっかくの良い薬も意味がありません。
自らの手で手に取る、行動する・・・・・与えられるだけでなく、その第一歩が家庭に、地域に、社会に
そして自分自身に繋がってきます。
誰かがしてくれるだろう・・・、自分には関係ない・・・、そのような他人任せの考えではなく、
正しい教え(信仰)のもとに、自ら行動して行きましょう。
2012-11-21 21:55:00
教区研修道場開催
20日、21日と佐世保市・本興寺様において、九州教区の檀信徒研修道場が開催されました。今年は長崎県が当番ということで、私もスタッフとしてお手伝い。
各地から200名もの方が参加され、本興寺様のお会式法要に合わせての法要・修法、
高座説教、講談など盛りだくさんの内容でした。
今年で29回目になりますが、25回目の参加という方もいらっしゃり、法華経・お題目に対する
熱心な信仰、また、御年輩にもかかわらず、学ぶ姿勢に、熱い想いを感じました。
2日目は講義と九十九島観光。
いろんな方との御縁を通じ、スタッフとして参加したものの、こちらももっと頑張らねばと
感じた1泊2日の研修でした。
各地から200名もの方が参加され、本興寺様のお会式法要に合わせての法要・修法、
高座説教、講談など盛りだくさんの内容でした。
今年で29回目になりますが、25回目の参加という方もいらっしゃり、法華経・お題目に対する
熱心な信仰、また、御年輩にもかかわらず、学ぶ姿勢に、熱い想いを感じました。
2日目は講義と九十九島観光。
いろんな方との御縁を通じ、スタッフとして参加したものの、こちらももっと頑張らねばと
感じた1泊2日の研修でした。