副住職日記

2014-02-04 11:45:00

暖かな節分となりました

今日は節分。全国各地の寺社をはじめ、それぞれの地域、家庭で行われたことでしょう。

案内の通り、当山では夜に豆まきをしますが、その前にもいろんな行事がありました。

午後は国見・長国寺様の節分・星祭りに出仕。
法要の前に水行を行いました。

例年になく、温かい中での水行。参拝客の視線の方が冷たい気がしました。
それでも、先日寒行で半島一周行脚を一緒に行ったお上人と3人で、行いました。

お勤め、ご祈祷、豆まき、福引きを行いましたが、
平日の午後にもかかわらず、多くの方がお参りされていました

すっきりとした表情で、お札や豆を頂いて帰られる姿が印象的でした。

さて夜は自坊にての節分会。夜にもかかわらず、
近所の子供達、友人、檀家さん、約70名の方にお参りいただきました

うちでも、4名の僧侶と共にお勤め、ご祈祷、豆まき、福引きを行いましたよ。

昔から当山では電気を消しての暗闇での豆まきです。蝋燭の明かりだけでの雰囲気に
参加者の賑やかな声が堂内に響き、きっと鬼たちもびっくりして出て行ったことでしょう!


      (金平糖入り福豆)

普段は隠れて見えない鬼が自分の中にいます。
光と豆で追い出すのも自分。
自分自身の行動が大事ですね。

~節から芽が出る~
明日は立春。季節の変わり目です
何かきっかけがあると、気持ちの入れ方も変わります。
そのきっかけを普段から与えてくださっている仏様
そのことに気づき、感謝しながら、1年間笑顔で楽しく過ごしたいものです。
2014-02-01 20:01:00

信行会 開催

毎月第1土曜に開催する信行会ですが、1日が土曜だと、すごく早く来たような気がします。
あぁ、来月も1日だ。

さて、今月はいつものようにお経練習、和讃練習、御遺文解説。

御遺文は下記の御文章を拝読しました。

いよいよ強盛の御志あるべし。氷は水より出たれども水よりもすさま(凄冷)じ。
青き事は藍より出たれどもかさ(重)ぬれば藍より色まさる。
同じ法華経にてはをはすれども、志をかさぬれば他人よりも色まさり、利生もあるべき也
                                 乙御前御消息


佐渡の日蓮聖人の元へ、鎌倉からわざわざ訪れになった女性の、その信仰厚きことを
たたえられた御文章です。
その場しのぎではなく、繰り返しが大事であり、
浅い信仰からより深い法華経信仰へ、生活の中で法華経の教えを学び生かしていくことが信仰です。
信行会も13年目。150回を超えました。続けていくことで、より深い色になるように、今後も精進なければなりませんね。

2014-01-31 22:32:00

1月を振り返り・・・

昨日は県内寺院の総会があり、合わせて初老祝賀会を催していただきました。
早いもので、初老を迎えます。
あんまり実感はないですけどね…
ただ、これまで無事に約40年生かされて頂いたこと、その間いろんな縁があり、お世話になったこと
本当に感謝です。
その分、これから恩返ししなければ……

さて、先日あるところで拝見した言葉に次のようなものがあります。

一、自ら活動して他を動かしむるは水なり

一、障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり

一、常に己の進路を求めて止まざるは水なり

一、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり

一、洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり 雪と変じ霰と化し疑っては玲瓏たる鏡と
  なりたえるも其性を失わざるは水なり

これは、「水五訓」と言われるものですが、今年から始まった「黒田官兵衛」による作と伝えられています。※諸説あり
水はいろんな性質を持ちますが、そのもとは変わらない。
自分で他を動かし、力を蓄え、常に前に流れるところを求め、他を排除しない、むしろ引き込んで大河となす。

水は生命の原点でもあります。学ぶところが多いですね。
ちなみに、私の花押は「如水」です。
 
2014-01-24 00:23:00

4日目を迎えた行脚 

ようやく半分を迎えようとしています。
今日は口之津から南串山まで。約16㌔です。


対岸の天草までは約5キロ。この辺りは、イルカウォッチングでも有名です。
貿易で栄えた町でもあり、現在も船員の方が多くいらっしゃいます。
また、お題目信仰も厚く、今日まで行脚した中で、一番多くの方が
手を合わせてくださったり、浄財を頂戴したりしました。


(海水浴場が多い加津佐地区)
今日も海岸線沿いを歩きますが、加津佐に入り、ロックシェードを歩きます。
断崖が多いこの地域は、がけ崩れも多く、犠牲者も出ています。
現在では、大雨になると通行止めになります。

その合間に、供養塔が建立されていました。

これは、藩建立ではなく、有志の方で建てられたもの。
対岸と近いこともあり、天草地方の流死者も多く、地元殉難者と共に供養のために建てられたものと思います。
供養塔の正面には、お題目が刻まれていました。

無事4日まで終了しました。
供養塔を廻りながら思うことは、単に歴史を学ぶだけでなく、教訓として自らの糧にすること。
そして後世へ伝えていくことが、何よりの供養になるかと思います。


「天災は忘れた頃にやってくる」・・・供養塔を建立された先師の想いを伝えたいですね。
2014-01-22 21:05:00

行脚 ~3日目~

今日は有家町堂崎~口之津入口まで、約16㌔。
脚に疲労感を感じながらも、だいぶ慣れてきました。

スタートから国道を行脚し、途中で西有家・清正寺様にて一読。
後はひたすら海岸線沿いの国道を行脚。

南有馬にも、藩が建立した供養塔があり、こちらでも一読。

実は、西有家・須川にもあるらしいのですが、
準備不足で、どうしても見つけることができず、
後日お勤めに行きます。


(奥に見えるのが、島原の乱の戦場となった原城跡)

慣れてきたのか、ペースも早く、思ったより順調に終えることができました。
今日のゴールから自坊まで、車で帰りましたが、
段々と自坊からスタート・到着地点が遠くなるにつれ、よく歩いたなと実感します。
まだ半分も行ってないですが…