副住職日記

2014-03-17 17:59:00

タイミングが大事

本堂裏にある妙法寺菜園の収穫を行いました。

ここ数日の急激な温度変化や、暖かな気候もあって後植えの白菜は、
葉が巻くことなく、花が咲きました(^_^;)

ホウレンソウも、採るタイミングが遅れ、蕾がついています。
ホウレンソウの花ってみたことありますか?
今度UPしますね。

今ちょうど収穫できるのは人参。
なかには、まだ小さいものや「5又」のものもありましたが、


息子と一緒に収穫しました。

自家菜園、無農薬の野菜は美味しいですね。
何と言っても新鮮だし。

もうすぐ、玉ねぎやアスパラが収穫できそうです。

今度は夏に向けての土づくりですね。

先日、農家の方が言っておられました。
「野菜や作物が、今の状態を教えてくれる。あとはこちらがそれに気づくかが大事」と。
水や肥料、温度など何が何時必要かを教えてくれる・・・と
何事も手をかけないと、ほったらかしではいいものはできませんね。
2014-03-12 01:47:00

写経会 開催

未曾有の東日本大震災から丸3年。
今年も写経会を開催しました。

本来なら日曜日にすれば、参加者も多いのでしょうが、
今年は、敢えて当日11日に・・・


テレビでは、1日を通して特集、追悼番組が流れています。
震災を機に、原発、津波、ボランティア、災害への備え・・・・・など
それまで漠然としていたことに、一人一人が考えさせられたのは事実です。

『憶持不忘』
風化が心配。そんな声が聞こえますが、
震災のこと、その後の問題・・・それぞれを記憶にとどめて、忘れずに伝えること。
次世代へつなげることが大事だと思います。

参加人数は少なくても、それぞれの想いは繋がります。
震災殉難者の供養、震災地域の早期復興を祈って・・・
2014-03-10 01:15:00

佐渡研修 最終日

天気予報では暴風雪。
参加者一同、船が出て無事帰れるか不安で迎えた朝。
恐る恐るホテルの窓を開けると・・・・
あれ?雪もあんまり積もらず、風もない。

ホテルのスタッフさんに聞くと、フェリーはOK。ジェットフォイルはこれからの天候次第とのこと。
そこで、確実なフェリーに乗ることに・・・・
そのために当初予定の時間から、佐渡出港が2時間早くなり、最終日は午前中に佐渡金山の観光のみ。



初めて訪れたけど、当時(江戸)の隆盛を感じました。
江戸が80万、長崎が2万人の人口だった当時に、佐渡には6万人の人で溢れ、
各地で能が催されいたようだ。
各地に能楽堂が立ててあるのも、その文化が継承されている証拠でもある。

さて、無事に船も出港したものの、有明海では経験しない波のうねりを体験しながら2時間30分の航海。
その後新潟空港から、帰路福岡。
自宅についたのは、午後11時頃でした。

3日間という短いながらも濃密な時間は、貴重な経験となった。
佐渡で感じた見るもの、聞くものの体験は、自身への何よりのお土産である。

ちなみに、大聖人様には佐渡のお米とお酒をお土産に・・・・・。
2014-03-08 14:25:16

佐渡での研修 ~2日目~

2日目の日程は起床後から始まりました。
朝食前に、御遺文拝読。せっかく佐渡まで来たので、この地で、述作された遺文の勉強を・・・・

さて、明日(3日目)が暴風雪の予報なので、できるだけ今日中に霊跡を廻ることとなりました。
先ずは、宿泊したホテルから5分とかからない場所にある、両津港近くの妙法寺。


次に、根本寺。日蓮聖人が佐渡に流罪された後、現在の根本寺がある、この「塚原」という場所にて配所の生活を始められ、
翌年(文永9年 1272)まで、留まられた場所です。その間に『開目抄』などを述作されています。


続いて、訪れたのは妙照寺。塚原での生活の後、赦免されるまで過ごされたのが「一谷(いちのさわ)」という所。

この地で、『観心本尊抄』を述作され、大曼荼羅御本尊を始顕されたのです。早朝に拝読した『観心本尊抄』 実際に述作された地に立ち、灌漑深いものがありました。

昼食前に立ち寄った佐渡歴史伝説館。


日蓮聖人を始め、佐渡流罪となった順徳天皇、世阿弥などの流罪の歴史や伝説を、等身大ロボットによって紹介する体験型ミュージアムです。

ちなみに、此処の売店であのジェンキンスさんにも会えるそうです!(冬場は自宅にて充電中とのこと)

午後からは、まず妙宣寺へ。広さもさることながら、手入れの行き届いた境内や伽藍の大きさに圧倒された。


ここは、佐渡で日蓮聖人に帰依された阿仏房夫妻の住居を寺にしたのが始まりです。聖人が在島中、夫妻は夜中人目をしのび
食料をとどけられました。日蓮聖人が赦免され身延に帰られてからも、阿仏房は三度も身延の山を登詣して御給仕を尽くし、
大聖人は阿仏房の願いを入れてお弟子となし、日得の名を与え、妻に千日尼の名を与えられました。この阿仏房が
亡くなったあと、子の盛綱はその遺骨をもって身延に登り、日蓮聖人のご草庵の傍らに墓をつくったのでした。
今の身延の御廟所の横に阿仏房のお墓があります。

同じく佐渡で帰依された国府入道邸の跡に建立された、世尊寺。


そして、中興入道が草庵を立て大聖人を迎えられた「御井戸庵」などを参拝。 


また佐渡の伝統文化を伝える、各地に建立された「能楽堂」などを見学。
ちなみに今回訪れた能楽堂は、神社の境内に建立されていました。


この他にも、聖人に関する多くの霊跡がありますが、時間の都合上すべてを廻ることはできませんでした。
しかしながら丸一日御霊跡を廻り、日蓮聖人の佐渡での御生活に少し触れた気がします。

明日は最終日。天候も怪しく、無事帰れるか心配です。
2014-03-08 00:45:45

霊跡をめぐる ~佐渡の巻~

県内の先輩からお誘いを受け、4日から2泊3日の日程で新潟・佐渡へ。
なぜ佐渡に行くのか・・・・・
佐渡は、文永8年の龍口法難後、日蓮聖人が流罪となり、約2年5か月を過ごされた場所です。
その過酷な流罪生活の中で、『開目抄』や『観心本尊抄』などいった多くの著述をなされ、また日蓮宗の御本尊である
大曼荼羅の始顕をなされました。
即ち、この佐渡の地は、日蓮聖人の大いなる思いが溢れだした聖地であり、その魂魄が留まっているのです。

今回この時期に訪れたのは、真冬の佐渡を過ごされた日蓮聖人のお気持ちを少しでも体験するため。
また、実際に述作された場所・時期の環境を身をもって感じるために、敢えてこの時期となりました。

朝4時半に自坊を出発し、福岡から空路飛行機新潟へ。そして新潟港から佐渡まではジェットフォイルで約1時間。
乗り継ぎがうまくいき、予定より早く、午前11時半には佐渡へ到着。

この時期には珍しく、雪も少なく、また快晴晴れで、船も揺れることなくつきました。

まずは、平成15年に建立された「日蓮聖人銅像」へ参拝。

私自身、前回佐渡を訪れたのは、この銅像落慶法要の時でした。その時、行脚や出仕していた時のことを思い出しながら
参詣しました。

次に向かったのは、松ヶ崎・本行寺。新潟、角田浜を出港され、佐渡に最初につかれた場所が松ヶ崎です。

本行寺様の近くに、「おけやき」と呼ばれる欅の大木があります。松ヶ崎に上陸した日蓮聖人は、
ここで欅の木の穴に入り、3日3晩過ごされたのです。


更に向かったのは、真浦霊蹟。話がアッと今に飛びますが、御赦免を受けた日蓮聖人は「真浦の津」から出船されます。
その出船の地に顕彰碑、また近くには日蓮堂と言われるお堂が建立されています。


1日目最後は、経島。赦免を知らせるため小木海岸に漂着した日朗上人が一晩過ごされたという。


本当は足跡通りに辿りたかったのですが、時間や、翌日からの天候が思わしくない雪ということもあり、
1日目はこのような日程となりました。-つづく-