副住職日記
2014-04-15 22:33:00
初めての山鹿訪問 ~縁ある寺院へ参拝~
所用で山鹿へ行くことになり、一路熊本へ。
山鹿でのメイン行事は夜だったので、初めての場所でもあったので早めに出発し山鹿散策。
さて、山鹿には当山と縁深い場所があります。
当山の先々代住職が、入寺された寺院があるのです。
話は聞いていましたが、これまで行ったことはなく、何時かは行ってみたいと思っていたところ、
ちょうど山鹿への用事があり、せっかくなので、今回お参りすることにしました。
温泉町として栄える山鹿の中心部、山鹿城後に建立された「円頓寺」様
立派なお寺です。
由緒、沿革などはこちら
突然の訪問にも、御住職はじめ快く迎えていただきました。
当山の事も、御住職の先祖がもともと布津出身の家系ということもあり、
よく話を聞かれていたそうです。
是非一度、布津の方にもお参りしたいということでしたので、
せっかくのご縁を、檀信徒の交流を含め、これからも大事にしたいものです。
山鹿でのメイン行事は夜だったので、初めての場所でもあったので早めに出発し山鹿散策。
さて、山鹿には当山と縁深い場所があります。
当山の先々代住職が、入寺された寺院があるのです。
話は聞いていましたが、これまで行ったことはなく、何時かは行ってみたいと思っていたところ、
ちょうど山鹿への用事があり、せっかくなので、今回お参りすることにしました。
温泉町として栄える山鹿の中心部、山鹿城後に建立された「円頓寺」様
立派なお寺です。
由緒、沿革などはこちら
突然の訪問にも、御住職はじめ快く迎えていただきました。
当山の事も、御住職の先祖がもともと布津出身の家系ということもあり、
よく話を聞かれていたそうです。
是非一度、布津の方にもお参りしたいということでしたので、
せっかくのご縁を、檀信徒の交流を含め、これからも大事にしたいものです。
2014-04-08 22:33:00
花まつり ~お釈迦様の誕生日~
今日はお釈迦様の誕生日。
本堂に花御堂を準備して、甘茶をかけ御生誕をお祝いします。
檀家さんから供養の生花。南向きに咲くヒマワリがお祝いしています。
「灌仏会」と言いますが、現在では「花まつり」といい、お釈迦様の像(誕生仏)に甘茶をかけてお祝いします。
ルンビニの花園でお生まれになった時、花が咲き乱れ、産湯の代わりに龍が甘い露をお釈迦さまに注がれたといわれ、
それが甘茶をそそぐ由来になっています。
さらに、お生まれになられてすぐに7歩進み、右手人差し指を天に向け、
「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」とおっしゃったといわれています。
人としてこの時代にこの世に生まれてきたことは、尊いことです。1人1人が自分はもちろん、
他人も自分の事のように大事に思う、そして、周りに感謝する心が何よりだと思います。
当山は、住職が育てた「アマチャ」の葉を使用した自家製「甘茶」。無農薬はもちろん、添加物一切ありません(笑)
以前は朝早くから一升瓶やペットボトルを持って、頂きに来られる方もいましたが、
現在は小さな容器に入れて準備しています。
また今月の信行会と共に開催し、お勤めしました。
子供たちも参加してもらいたかったのですが、今日はどこも入学式。
各々、新たなスタートを一日一日大切に、そして周りに感謝しながら
過ごしてもらいたいものです。
本堂に花御堂を準備して、甘茶をかけ御生誕をお祝いします。
檀家さんから供養の生花。南向きに咲くヒマワリがお祝いしています。
「灌仏会」と言いますが、現在では「花まつり」といい、お釈迦様の像(誕生仏)に甘茶をかけてお祝いします。
ルンビニの花園でお生まれになった時、花が咲き乱れ、産湯の代わりに龍が甘い露をお釈迦さまに注がれたといわれ、
それが甘茶をそそぐ由来になっています。
さらに、お生まれになられてすぐに7歩進み、右手人差し指を天に向け、
「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」とおっしゃったといわれています。
人としてこの時代にこの世に生まれてきたことは、尊いことです。1人1人が自分はもちろん、
他人も自分の事のように大事に思う、そして、周りに感謝する心が何よりだと思います。
当山は、住職が育てた「アマチャ」の葉を使用した自家製「甘茶」。無農薬はもちろん、添加物一切ありません(笑)
以前は朝早くから一升瓶やペットボトルを持って、頂きに来られる方もいましたが、
現在は小さな容器に入れて準備しています。
また今月の信行会と共に開催し、お勤めしました。
子供たちも参加してもらいたかったのですが、今日はどこも入学式。
各々、新たなスタートを一日一日大切に、そして周りに感謝しながら
過ごしてもらいたいものです。
2014-04-06 22:16:00
城の日らしいです
毎月第1日曜は、ボランティア活動の日。
今日も島原城へお茶のおもてなし(^o^)/
ただ、いつもと違うのは、4月6日は「城の日」ということで、島原城では様々なイベントが…
しかも、今年天守閣復元50周年ということで、
いつにも増して、にぎわっていました。
今月はボランティアとしてではではなく、「春のお茶会」ということで、最近習い始めた社中としての参加です。
http://www.shimabara-tabitayori.jp/50th_event.html
午前10時~午後3時まで、途切れることなく点てていました。
大体300人ぐらいでしょうか・・・・・
仕事以上に緊張し、心地よい疲れでした。
なにより、せっかく訪れた方々の思い出の一助になれば幸いと思います。
子供たちも、美味しいと言ってくれていたのが印象的でした。
今日も島原城へお茶のおもてなし(^o^)/
ただ、いつもと違うのは、4月6日は「城の日」ということで、島原城では様々なイベントが…
しかも、今年天守閣復元50周年ということで、
いつにも増して、にぎわっていました。
今月はボランティアとしてではではなく、「春のお茶会」ということで、最近習い始めた社中としての参加です。
http://www.shimabara-tabitayori.jp/50th_event.html
午前10時~午後3時まで、途切れることなく点てていました。
大体300人ぐらいでしょうか・・・・・
仕事以上に緊張し、心地よい疲れでした。
なにより、せっかく訪れた方々の思い出の一助になれば幸いと思います。
子供たちも、美味しいと言ってくれていたのが印象的でした。
2014-04-02 14:29:00
天災は忘れた頃に・・・・・・
ブログでも紹介しましたが、3年前より大寒から1週間「寒行」として
島原半島1周行脚を行っています。
これは、東日本大震災を機に、約220年前に島原半島で起きた災害による殉難者慰霊と、
交通安全祈願を目的に行っているものです。
その災害とは、西暦1792年5月21日(寛政4年4月1日)に起こった眉山崩壊と津波による自然災害です。
「島原大変 肥後迷惑」という言葉がありますが、
島原半島と対岸の熊本・天草地方で合わせて1万5000人の方が犠牲になられたと記録があります。
詳しくは→島原大変(ウィキペディア)
手前が崩壊した眉山。地震によって山頂より150mの高さにわたり崩れ、
その土砂が海へなだれ込み、津波になったとか・・・・
慰霊はもちろん、後世に伝えるため、島原半島・天草地方の各地に慰霊塔、供養塔が多数建立されています。
その中で、島原藩が建立した供養塔が半島内に7つあります。文字が全て同じなのが特徴です。
行脚の際は、供養塔の前でお勤めしてご回向してきました。
ただ、どうしても最後の1箇所がわからなかったのですが、
やっと探すことができ、昨日お参りしてきました。
奇しくも4月1日。島原大変は旧暦ですが、「憶持不忘」つねに忘れないようにしたいものです。
また記録によると、津波は地形的に布津町が一番高かったらしく、57Mの高さまで溯上したとあります。
当山は、海抜58M。すぐそこまで来たいたのかもしれません。
妙法寺は明治18年建立。開山上人は、きっといろんなことを考えられて、この場所に
建立されたのでしょう。
開山上人の命日は3月31日。いろんなことが重なって、考えさせられる年度末・年度初めとなりました。
今朝のニュースを見ると、チリで地震と津波が起きたとのこと。
普段からの備え、危機意識も重要ですね。
以下、半島7か所の慰霊碑をご紹介。
(雲仙市国見町 旧・多比良村)
(島原市三会町 旧・三会村)
(島原市田町)
(島原市南崩山町 旧・安徳村) (南島原市布津町 旧・布津村)
(南島原市西有家町 旧・隅田村)
(南島原市南有馬町 旧・南有馬村)
(供養塔説明文)
先人たちが、供養のために建立したのはもちろんのこと
後世に伝えるためでもあります。
時間が経つにつれ、世代が変わるにつれ失われていくもの・・・
古来、日本人が大切にしてきたもの・・・
伝えていかなければならない使命がありますね。
島原半島1周行脚を行っています。
これは、東日本大震災を機に、約220年前に島原半島で起きた災害による殉難者慰霊と、
交通安全祈願を目的に行っているものです。
その災害とは、西暦1792年5月21日(寛政4年4月1日)に起こった眉山崩壊と津波による自然災害です。
「島原大変 肥後迷惑」という言葉がありますが、
島原半島と対岸の熊本・天草地方で合わせて1万5000人の方が犠牲になられたと記録があります。
詳しくは→島原大変(ウィキペディア)
手前が崩壊した眉山。地震によって山頂より150mの高さにわたり崩れ、
その土砂が海へなだれ込み、津波になったとか・・・・
慰霊はもちろん、後世に伝えるため、島原半島・天草地方の各地に慰霊塔、供養塔が多数建立されています。
その中で、島原藩が建立した供養塔が半島内に7つあります。文字が全て同じなのが特徴です。
行脚の際は、供養塔の前でお勤めしてご回向してきました。
ただ、どうしても最後の1箇所がわからなかったのですが、
やっと探すことができ、昨日お参りしてきました。
奇しくも4月1日。島原大変は旧暦ですが、「憶持不忘」つねに忘れないようにしたいものです。
また記録によると、津波は地形的に布津町が一番高かったらしく、57Mの高さまで溯上したとあります。
当山は、海抜58M。すぐそこまで来たいたのかもしれません。
妙法寺は明治18年建立。開山上人は、きっといろんなことを考えられて、この場所に
建立されたのでしょう。
開山上人の命日は3月31日。いろんなことが重なって、考えさせられる年度末・年度初めとなりました。
今朝のニュースを見ると、チリで地震と津波が起きたとのこと。
普段からの備え、危機意識も重要ですね。
以下、半島7か所の慰霊碑をご紹介。
(雲仙市国見町 旧・多比良村)
(島原市三会町 旧・三会村)
(島原市田町)
(島原市南崩山町 旧・安徳村) (南島原市布津町 旧・布津村)
(南島原市西有家町 旧・隅田村)
(南島原市南有馬町 旧・南有馬村)
(供養塔説明文)
先人たちが、供養のために建立したのはもちろんのこと
後世に伝えるためでもあります。
時間が経つにつれ、世代が変わるにつれ失われていくもの・・・
古来、日本人が大切にしてきたもの・・・
伝えていかなければならない使命がありますね。
2014-03-24 17:34:00
春のお彼岸
21日、22日の両日、当山の彼岸法要を行いました。
中日の21日には、併せて施餓鬼法要も行い、東日本大震災殉難者慰霊のご回向も行いました。
怪しい曇り空で、寒かったのですが、多くの方にお参りいただき、
また、法話も最後までお聞きくださいました。
御礼申し上げます。
今回の法話・・・というか、今回は檀家さん宅で質問のあった「数珠」について、
プロジェクターを使って説明し、
秋に行う身延山団参の行程・参拝する寺院の説明などを行いました。
非常に基本的な部分をお話ししましたが、
「わかりやすかったよ」「知らなかったから聞けて良かった」など、
お言葉を頂きました。
本来なら、言葉だけで説明できるように、わかりやすく、かつ説得力のあるお話をしたかったのですが…
まだまだですね。
今回も、息子とともに親子三代でのお勤めでした。
残念ながら、院主様(祖父)は自宅にて充電中ですので、4世代とはいきませんでしたが、
秋やお会式には是非みんなでお勤めしたいと思います。
子供たちもお手伝い!
中日の21日には、併せて施餓鬼法要も行い、東日本大震災殉難者慰霊のご回向も行いました。
怪しい曇り空で、寒かったのですが、多くの方にお参りいただき、
また、法話も最後までお聞きくださいました。
御礼申し上げます。
今回の法話・・・というか、今回は檀家さん宅で質問のあった「数珠」について、
プロジェクターを使って説明し、
秋に行う身延山団参の行程・参拝する寺院の説明などを行いました。
非常に基本的な部分をお話ししましたが、
「わかりやすかったよ」「知らなかったから聞けて良かった」など、
お言葉を頂きました。
本来なら、言葉だけで説明できるように、わかりやすく、かつ説得力のあるお話をしたかったのですが…
まだまだですね。
今回も、息子とともに親子三代でのお勤めでした。
残念ながら、院主様(祖父)は自宅にて充電中ですので、4世代とはいきませんでしたが、
秋やお会式には是非みんなでお勤めしたいと思います。
子供たちもお手伝い!