副住職日記
無事に通り過ぎました
心配された台風10号ですが、
この地域は大した被害もなく、停電もなく無事に通り過ぎました。
前もっての情報により
備えはしていたつもりですが、
急遽、近隣施設の入所者を受け入れる避難所となり、
職員含め約30名の方が避難されてきました。
こちらも初めての経験だったので、
勝手がわからず、何かと不便はあったかもしれませんが
とりあえず無事に過ごせて何よりです。
広間にテレビはありますが、
雑誌や本などがあれば、もっとゆっくり過ごせたかもしれません。
畳の部屋だったことは、横になる高齢者にとっては
良かったかもしれません。
色々経験したことを元に
今後の対応を含めて考えていきたいと思います。
29年の歳月 いのりの日
今日6月3日、島原にとっては忘れられない日です。
今から29年前、43名もの方が死者・行方不明者となった
雲仙普賢岳の大火砕流災害が起こった日。
当時高校生だった私は、発生時に高校総体期間中で、たまたま自宅にいました。
自宅から眺めた噴煙、焦げ臭い匂い、惨状を知らせた夕方のニュースは今でも忘れられません。
当山の檀信徒の家族に、犠牲となった方がおられ、
今でも行方不明の為、仏壇には亡くなられたであろう場所にあった石が祀られています。
大学卒業後、島原市仏教会様に声をかけて頂き、
慰霊碑で行われた仏教会主催の年忌慰霊法要に出座させて頂きました。
以来、6月3日には出来る限り、雲仙岳災害記念碑や定点と呼ばれる場所でお参りさせて頂いています。
今日もあいにくの天気で山頂を見ることはできませんでしたが、
定点近くには生花やお供えが供えてありました。
話は変わりますが、先日、新聞記者の方から取材を受けました。
きっかけは、数年前のブログの記事を見られたことでしが、
色々想いを取り上げて頂いたので、よろしければご覧下さい。
「ここに立つとさまざまな無念がよぎる」雲仙普賢岳噴火29年 犠牲者を悼む僧侶
全国いや世界各地で起きる災害。
他人事ではなく、自分事と考えることで
自ずとできる行動があると思います。
奇しくも、これまで地域で起きていた災害が、コロナウイルスという
世界中同時に起きていることで、自分の事と考えるようになったと思います。
自分に出来ること、伝えること、どうやったら想いを伝えられるかを
日々模索しながら行動したいと思います。
立派なアジサイロードになりました。
国道から飯野小までの道路脇に植えられたアジサイ。
今年も色取りどり綺麗に咲いています。
これは地域住民の方が、殺風景だった道路の両脇に
芝桜やアジサイを植えだしたのがきっかけ。
以来、毎年住職が挿し芽で増やし、地域の方で移植して
立派なアジサイになりました。
こちらのブログに、最初に植栽したときの様子を投稿してました。
9年前になるんですね(^^)
久しぶりの登校
子どもたちの通う小・中学校で授業が再開されました。
朝、登校するときの生き生きとした声。
夕方帰宅したときの元気な声。
久しぶりに聞いた気がします。
ようやくとはいえ、まだ休校中の学校があるのも現実。
休校期間中にコロナに対する報道をたくさん見てるはず。
1人1人の意識、行動が多くの方に影響することを
身をもって感じたことと思います。
再開は喜ばしいことですが、
再び、感染が拡大しないように
1人1人が意識して行動しましょう。
子どもの頃の夢・・・・
子どもの空手試合応援のため、南有馬へ・・
途中、気になる物が視界に入りました。
じっくり見ることができなかったので、
帰りに・・・
それがこの写真です。
子どもに撮ってもらいましたが、
誰が作ってるんだろう・・・・
子どもの頃、こういう家?秘密基地?を
作りたくなかったですか?
一度登ってみたいですね。
どんな景色が見えるのか、見てみたいです。