副住職日記
2013-07-27 23:16:00
2つのサッカー観戦
今日は1日で2つのサッカー観戦。
午前中は、小学校行事であるキックベース大会。
地区対抗ということもあって、うちの子も低学年ながら出場。
去年よりは成長した姿を見せてくれました(^_^;)
夕方からはJ2・Vファーレン長崎のホーム戦を観戦。
この日は南島原市応援デーということで、市内の小中学生とその親、約300名が市からの招待となりました。珍しく当選したので、頑張ったご褒美に息子と観戦です。
長崎の監督はアジアの大砲と呼ばれた、高木琢也監督。南島原市出身という縁もあり、今回の市を挙げての応援となりました。
恥ずかしながら・・・・・・家族会員であるにもかかわらず、実は初観戦です。
それでもスタジアムでの雰囲気、サポーターの応援する姿に、いつの間にか自分もタオルを回していました(笑)
J2で上位にいるものの、残念ながら今回は負けてしましました。初めて応援に行って、
負け試合とは、なんとなく嫌な感じですが、あの応援する一体感を味わった以上、これからも
足を運ぼうと思います。
午前中は、小学校行事であるキックベース大会。
地区対抗ということもあって、うちの子も低学年ながら出場。
去年よりは成長した姿を見せてくれました(^_^;)
夕方からはJ2・Vファーレン長崎のホーム戦を観戦。
この日は南島原市応援デーということで、市内の小中学生とその親、約300名が市からの招待となりました。珍しく当選したので、頑張ったご褒美に息子と観戦です。
長崎の監督はアジアの大砲と呼ばれた、高木琢也監督。南島原市出身という縁もあり、今回の市を挙げての応援となりました。
恥ずかしながら・・・・・・家族会員であるにもかかわらず、実は初観戦です。
それでもスタジアムでの雰囲気、サポーターの応援する姿に、いつの間にか自分もタオルを回していました(笑)
J2で上位にいるものの、残念ながら今回は負けてしましました。初めて応援に行って、
負け試合とは、なんとなく嫌な感じですが、あの応援する一体感を味わった以上、これからも
足を運ぼうと思います。
2013-03-31 23:39:00
島原大変から221年目
「島原大変 肥後迷惑」という言葉があります。
西暦1792年5月21日(寛政4年4月1日)に起こった眉山崩壊と津波による自然災害です。
島原半島と対岸の熊本・天草地方で合わせて1万5000人の犠牲者といわれる
災害から明日で221年。
手前が崩壊した眉山。地震によって山頂より150mの高さにわたり崩れ、
その土砂が海へなだれ込み、津波になったとか・・・・
島原半島・天草地方の各地に慰霊塔、供養塔が多数建立されています。
その中で、島原藩が建立した供養塔が半島内に7つあります。
1月に半島1周行脚をした折、うち3か所はわかっていたので
途中お勤めしました。
いずれも彫ってある文字・字体が同じです。
先人たちが、供養のために建立したのはもちろんのこと
後世に伝えるためでもあります。
あとは、自分たちがどう受け止めるか。
先人たちの想いを胸に、残り4か所も今後調査したいと思います。
南島原市・布津町
南島原市・南有馬町
雲仙市・国見町
西暦1792年5月21日(寛政4年4月1日)に起こった眉山崩壊と津波による自然災害です。
島原半島と対岸の熊本・天草地方で合わせて1万5000人の犠牲者といわれる
災害から明日で221年。
手前が崩壊した眉山。地震によって山頂より150mの高さにわたり崩れ、
その土砂が海へなだれ込み、津波になったとか・・・・
島原半島・天草地方の各地に慰霊塔、供養塔が多数建立されています。
その中で、島原藩が建立した供養塔が半島内に7つあります。
1月に半島1周行脚をした折、うち3か所はわかっていたので
途中お勤めしました。
いずれも彫ってある文字・字体が同じです。
先人たちが、供養のために建立したのはもちろんのこと
後世に伝えるためでもあります。
あとは、自分たちがどう受け止めるか。
先人たちの想いを胸に、残り4か所も今後調査したいと思います。
南島原市・布津町
南島原市・南有馬町
雲仙市・国見町