副住職日記

2014-04-02 14:29:00

天災は忘れた頃に・・・・・・

ブログでも紹介しましたが、3年前より大寒から1週間「寒行」として
島原半島1周行脚を行っています。
これは、東日本大震災を機に、約220年前に島原半島で起きた災害による殉難者慰霊と、
交通安全祈願を目的に行っているものです。

その災害とは、西暦1792年5月21日(寛政4年4月1日)に起こった眉山崩壊と津波による自然災害です。
島原大変 肥後迷惑」という言葉がありますが、
島原半島と対岸の熊本・天草地方で合わせて1万5000人の方が犠牲になられたと記録があります。
詳しくは→島原大変(ウィキペディア)

  手前が崩壊した眉山。地震によって山頂より150mの高さにわたり崩れ、
  その土砂が海へなだれ込み、津波になったとか・・・・


慰霊はもちろん、後世に伝えるため、島原半島・天草地方の各地に慰霊塔、供養塔が多数建立されています。
その中で、島原藩が建立した供養塔が半島内に7つあります。文字が全て同じなのが特徴です。
行脚の際は、供養塔の前でお勤めしてご回向してきました。
ただ、どうしても最後の1箇所がわからなかったのですが、
やっと探すことができ、昨日お参りしてきました。

奇しくも4月1日。島原大変は旧暦ですが、「憶持不忘」つねに忘れないようにしたいものです。

また記録によると、津波は地形的に布津町が一番高かったらしく、57Mの高さまで溯上したとあります。
当山は、海抜58M。すぐそこまで来たいたのかもしれません。
妙法寺は明治18年建立。開山上人は、きっといろんなことを考えられて、この場所に
建立されたのでしょう。
開山上人の命日は3月31日。いろんなことが重なって、考えさせられる年度末・年度初めとなりました。

今朝のニュースを見ると、チリで地震と津波が起きたとのこと。
普段からの備え、危機意識も重要ですね。

以下、半島7か所の慰霊碑をご紹介。

(雲仙市国見町 旧・多比良村)


(島原市三会町 旧・三会村)


(島原市田町)

    
(島原市南崩山町 旧・安徳村)      (南島原市布津町 旧・布津村)


(南島原市西有家町 旧・隅田村)


(南島原市南有馬町 旧・南有馬村)


(供養塔説明文)

先人たちが、供養のために建立したのはもちろんのこと
後世に伝えるためでもあります。
時間が経つにつれ、世代が変わるにつれ失われていくもの・・・
古来、日本人が大切にしてきたもの・・・
伝えていかなければならない使命がありますね。