副住職日記
2023-04-01 19:34:00
供養塔の存在
寛政4年(1792)4月1日、島原の眉山が崩壊し、その土砂が有明海へ
流れ込む事によって発生した津波で対岸の熊本・天草や島原半島で約15000人もの
犠牲者が出た災害があります。
「島原大変 肥後迷惑」という言葉が残っています。
当時の藩主が供養のため、命じて立てた供養塔が半島に8基あるようです。
以前、半島有志の若手僧侶と集まり行脚して供養していましたが、
最近ではそれぞれ近くの地域の供養塔で行うようになりました。
布津にもその供養塔があります。
普段通っていると目立ちませんが、近くに行くと中々大きさで、立派な供養塔です。
今日、午前中にお勤めに行きました。
その場所からは有明海、津波の起源となった眉山や普賢岳が見渡せます。
資料によると、この地域では56mまで遡上したそうです。
二百数十年前のことですが、この供養塔の存在が今生きる私たちに
災害のことを伝えています。
もちろん、これまで守ってこられた近隣の方の行いもあってのことです。
災害は忘れた頃にやってくる
肝に銘じたいものです。