副住職日記
2018-06-03 20:15:00
毎年の供養
今日は43名も方が亡くなられた雲仙普賢岳・
火砕流災害が起きた日です。
地元消防団・タクシー関係者をはじめ、報道関係者が火砕流に巻き込まれました。
当時高校生だった私は、高総体の真っ最中で、
たまたま昼過ぎに帰宅していたので、自宅からその時を経験しました。
夕方4時過ぎ、ドスン、ゴロゴロという地響き、大きな溶岩の塊が頂上から転がり落ちる音に気づき、
外を見ると数分で、火山灰によって辺りは真っ暗になりました。
家の中にいても焦げ臭い匂いが、この先どうなるのか不安で一杯でした。
多くの方が犠牲になったのを知ったのは夕方のニュースでした。
その光景は今でも忘れることはできません。
あれから、丸27年。
私はここ数年、犠牲になられた「定点」と呼ばれる、当時報道陣が殺到し
取材の最前線の場所でお勤めしています。
普段は工事の関係で立ち入り禁止ですが、この日1日限り、入ることができます。
今回、火砕流発生時刻には行けなかったので、お昼すぎにお勤めしました。
その場所には、生花が供えられていました。
その場に建つと、真正面に普賢岳が見えます。
火砕流は時速100キロで流れるそうなので、きっとあっという間の
出来事だったと思います。
時が経つにつれ、記憶からだんだん薄れていくのはしょうがないことですが、
次の世代に伝えることは、やらなきゃいけないと、いつもこの場所に来ると感じます。