副住職日記
2018-04-02 14:17:00
地域の歴史 ~供養塔参り~
今から約220年前の寛政4年(1792年)4月1日、
雲仙岳噴火に伴う大きな地震で、島原市・眉山が崩壊し
大量の土砂が有明海に流れ込み、津波が発生しました。
「島原大変肥後迷惑」と言われますが、有明海対岸の熊本と合わせ、
約15000人の死者が出たといわれる災害です。
その後、島原藩によって島原半島に7基の供養塔が建立されましたが
毎年1月に地元若手僧侶とともに、寒行を兼ねて慰霊行脚を行っていました。
今年は、それぞれ予定が合わなかったので、命日である4月1日に
供養塔参りを行いました。
多比良 三会
田町
安中 須川
南有馬
普賢会会員が各地の供養をまわり、最後に布津町内にある供養塔前に集合して
皆でお勤めしました。
この地は津波が57Mの高さまで溯上したといわれる場所です。
ちなみに、うち(妙法寺)は標高58M。近隣の標高57Mを線で表したのが下の図です。
各地の供養塔も、現在でも4月1日に、近隣の方々で慰霊祭を行ったり、
普段からお花のお供えをされているようです。
220年前に思いをはせ、後世のために残した供養塔。
存在自体を知らない方も多いので、
少しでもその想いを伝えていきたいと思います。