副住職日記

2016-01-25 17:22:00

約220年前の出来事

記録的な寒波にみまわれ、さすがに慰霊行脚も中止です。
そこで、今回は行脚中に供養・回向している島原半島にある供養塔のご紹介。

寛政4(1792)年4月朔日に発生した島原大変によって大津波が発生し、
島原と対岸の熊本・天草沿岸を含め約1万5千人もの方が亡くなりました。

この島原大変による犠牲者を供養するため、島原藩はそれぞれの村の寺に命じて供養を執り行わせ、
高さ180cm、幅45cmもある大きな供養塔が建立されました。建立された供養塔は全部で7基あります。
その7か所は多比良村、三会村(三会町)、島原村(田町)、安徳村(南崩山町)、布津村、
隈田村(西有家)、南有馬村で、全て同形、同碑文の供養塔になっています。

これまで自分も地元にこのような供養塔があることは知りませんでした。
そこで、5年前に行脚を始めるに当たり、半島7か所を調べました。
現在は海岸線から内陸に入った地点に供養塔が存在しますが、
それも当時は海岸近くだったのでしょう。
どの供養塔も現在、近隣の方、地区の方が花を供え、供養されているようです。
こうした供養塔の存在も、後世に語り継ぎたいと思います。
以下は各地の供養塔の写真です。

(多比良)


(三会)


(田町)


(安徳)

(布津)


(西有家)


(南有馬)