副住職日記
2015-06-03 23:52:00
丸24年が経ちました
午前中、県寺庭婦人会が島原で開催されたので、そのお手伝いに。
この6月3日は、島原にとって忘れられない日
今から24年前、普賢岳火砕流によって、43名の方が犠牲になった日です。
殉難者の慰霊をこめて、法要・回向が行われました。
法要後、午後からの予定があったので、一足お先に帰りましたが、
その道中、多くの方が犠牲になった、定点と呼ばれる場所へ向かいました。
すでに、お参りの方もいらっしゃり、生花も供えてありました。
その中で、読経・ご回向しましたが、普賢岳の方を見上げると、
暑い雲で頂上は見えず。
逆に、災害当日もこんな天気だったよな・・・と当時を思い出しました。
晴れてたらこんな感じです。
自分は高校2年生。この日を境に、通っていて高校とは別の高校の1室で特別授業となったり
夏休みが1月早く始まったり、通学に船で通うようになったりと、高校生活は
大きく変わりました。
あとになって思えば、それも忘れられない思い出ですが。
年月が経つと、その記憶も薄れていくのが世の常です。
しっかりと次世代に伝えなければならないことは伝えなければならないと思います。
この6月3日は、島原にとって忘れられない日
今から24年前、普賢岳火砕流によって、43名の方が犠牲になった日です。
殉難者の慰霊をこめて、法要・回向が行われました。
法要後、午後からの予定があったので、一足お先に帰りましたが、
その道中、多くの方が犠牲になった、定点と呼ばれる場所へ向かいました。
すでに、お参りの方もいらっしゃり、生花も供えてありました。
その中で、読経・ご回向しましたが、普賢岳の方を見上げると、
暑い雲で頂上は見えず。
逆に、災害当日もこんな天気だったよな・・・と当時を思い出しました。
晴れてたらこんな感じです。
自分は高校2年生。この日を境に、通っていて高校とは別の高校の1室で特別授業となったり
夏休みが1月早く始まったり、通学に船で通うようになったりと、高校生活は
大きく変わりました。
あとになって思えば、それも忘れられない思い出ですが。
年月が経つと、その記憶も薄れていくのが世の常です。
しっかりと次世代に伝えなければならないことは伝えなければならないと思います。