副住職日記

2013-11-11 23:57:00

宗門法要に出座 ~小松原法難750年報恩法要~

11月11日は、宗祖日蓮大聖人が小松原法難に遭われた日。
今年はちょうど750年目の節目を迎えました。

小松原法難とは、文永元(1264)年11月11日、日蓮聖人と弟子信者10余名が、
安房国東條の松原(現在の千葉県鴨川市広場付近)にて、待ち伏せていた、地頭の東条景信
らの襲撃を受け、弟子・鏡忍房日暁上人、信徒・工藤吉隆公(妙隆院日玉上人)が殉教され、日蓮聖人ご自身も腕を折られ、額に刀傷を負われたご法難です。

今回、ご縁を頂き、750年報恩法要に出座させていただくことになりました。

前日入りし、朝からご来光を拝みに麻綿原へ。


残念ながら、ご来光は拝めず(>_<) ・・・またの機会に・・・

次に日蓮寺様へ。

ここは、小松原法難にて傷を負われた日蓮聖人が傷口を洗い、岩砂で血止めをし、傷の養生をし、一命を取り留めたという言い伝えのある場所です。

(傷洗いの井戸)




ちなみに、ここで傷の養生をされていた時、老婆が自分のかぶっていた綿頭巾を傷の風防ぎとして供養した故事にならい、刀傷が寒さで痛まないようにとの心づかいで、毎年11月11日から春季まで日蓮聖人の御像の頭に綿帽子を被せます

今回の宗門法要の会場となった鏡忍寺様。


殉教された鏡忍房が葬られている場所であり、のちに工藤吉隆公の息子が日蓮聖人の弟子となり、この地に一寺を建立し、父親の法号(妙隆院日玉)と鏡忍房の名前をとって、妙隆山鏡忍寺となりました。

境内には、法難の時、槙(マキ)の大木の上に現れた鬼子母神が東條景信をにらんだだめ、驚いて逃げ去ったと言われる、降神の槇があります。



いよいよ、法要本番。宗立学寮の青年僧による行脚、降神の槇を囲んでの修法、祖師堂にての
報恩法要。北海道~長崎まで、全国から多くの僧侶、檀信徒が参列し、報恩の誠を捧げました

今回の法要出仕、参拝を通じ、真の報恩とは何なのか…を考えました。
現代に生きる我々が、法華経・お題目の教えに従って立ち振る舞い、後世に伝えていくことがお釈迦様、大聖人への報恩であり、肝心な事ではないかな・・・・と。

そう感じながら、帰路につき、慌ただしい2日間でしたが、何とか最終便で帰ってきました。

明日(12日)は、当山のお会式。その想いを胸にお勤めしたいと思います。